宗忠さまの歩み
ご祭神 宗忠大神とその教え
大元 宗忠神社に祀られている宗忠大神は生前、世の中の苦しむ人々のために昼夜を問わず祈り、苦難の時代を生き抜くための教えを説いてきました。その教えの中心には生まれや身分に関係なく、生きていることに「感謝」をしようという想いがあります。なぜ、宗忠さまは身分制度が当たり前の時代に「感謝」と「平等」の精神を広めようとしたのか。そこには自身が病にかかり死の淵にあった経験が強く結びついています。
宗忠さまは神職の家に生まれ順風満帆な人生を送っていましたが、33歳を迎えた年に両親が流行病にかかり相次いで亡くなりました。悲しみに暮れる毎日で体は弱り、ついには宗忠さま自身も肺結核(当時不治の病)になり倒れました。
医者にさじを投げられ、自らの死の運命を受け入れた宗忠さまは、ある日病床からこの世に別れを告げるために日の出を拝みました。
山の木々から差し込む朝日の中で生きていることへの有難みを感じた宗忠さまは、両親が必死で守ってきた自分の命を諦め、粗末に扱ってしまっていたことに気づきました。以後、宗忠さまは心を大きく入れ替え、生きていることへの「感謝」の気持ちで拝むようになりました。
命に「感謝」し懸命に生きることを誓った宗忠さまは心身ともに徐々に回復し、最後には不治の病気を克服することができました。この経験から命に生まれは関係なく「平等」で尊いものであるという「感謝」と「平等」の精神が教えの基礎となりました。
そして朝日を拝み続けた冬至の朝、立ち上る朝日を拝んでいた宗忠さまは太陽神である天照大御神と一体となる境地を経て、悟りを開きました。35歳のことです。
天命を受けた宗忠さまは武士や農民など身分に関係なく人々に教えをとき、生きながら神となった存在として、人々から親しまれるようになったのです。
没後、宗忠さまは朝廷より「宗忠大明神号」を賜り、明治18年(1885年)に宗忠様の生誕地である大元に宗忠神社が建立されました。大元 宗忠神社では宗忠をご祭神 宗忠大神としておまつりし、「人々の為の神社」として地域に愛される場所となっています。