大元 宗忠神社 岡山市北区上中野1-3-10 TEL:086-241-0148
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大元 宗忠神社 岡山市北区上中野1-3-10 TEL:086-241-0148
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大元・宗忠神社とは
大元・宗忠神社は、宗忠大神(黒住教の教祖 黒住宗忠)をおまつりし、ご祭神のご生誕の地である岡山市北区上中野(通称・大元)に、明治18年(1885年)にご鎮座なりました。

大元 宗忠神社

明治天皇の御父君・孝明天皇が新たに仰せ出された勅願所である京都の神楽岡・宗忠神社(文久2年-1862年-ご鎮座)に続いて建立されました。
ご祭神のお徳から、学徳向上、家内円満、病気平癒、事業繁栄の【開運の神様】として、多くの方々がご神徳をいただかれています。

※勅願所とは、天皇陛下の願いにより、国家鎮護、国民の平安を祈願する神社や寺院のこと。
ご祭神 宗忠様について
今村宮
▲ 今村宮(岡山市北区今)

ご祭神 黒住宗忠は、安永9年(1780年)11月26日(旧暦)の冬至の日の朝、代々今村宮(岡山市)の神職をつとめる家に生まれました。
幼少時より孝心あつく、20歳のころ「生きながら神になる」という志を立てましたが、それも「真の親孝行とは」と自問する年月の中に見いだした結論でした。

「心に悪いと思うことを決して行わず、善きことのみを実行する」との厳しい目標を自らに課して"神になる"道を歩んだ宗忠でしたが、数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病でわずか1週間の内に相次いで亡くなり、その悲しみがもとで当時不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。

死を覚悟した宗忠は、文化11年(1814年)1月の厳寒の朝、幼いころから両親とともに毎朝手を合わせてきた日の出を拝みました。
この"最期の日拝"の祈りの中に、宗忠は知らず知らずのうちに大変な親不孝をしていたことに気づき、せめて心だけでも両親が安心する人間に立ち戻らねばならないと大きく心を入れかえました。
この世との別れの日拝は、新たな"生"への祈りに転回したのです。この心の大転換により、宗忠の暗く閉ざされた心の中に陽気な感謝の気持ちがよみがえり、その結果わずか2カ月で不治の病を完全に克服しました。
その年の11月11日、この日は昔から「一陽来復」と称され、物事が新たに始まる時とされてきた冬至の日でした。安永9年の冬至の朝に誕生した宗忠が、死の淵を乗り越えて34回目の誕生日をこの日迎えたのです。

ご祭神 黒住宗忠

昇る朝日に格別の思いで祈りを捧げている時、宗忠は天照大御神と一体になるという"神秘的宗教体験"を得て、いわゆる"悟り"の境地に立ちました。
黒住教では、このことを「天命直授(てんめいじきじゅ)」と称して、立教の時としています。

以来、宗忠は世の中の苦しむ人や助けを求める人のために昼夜を分かたず祈り、教え導き、多くの人々から"生き神"と称えられ、すでに神仕えの身であったこともあって自然な姿で教祖と仰がれて現在に至っています。
宗忠がその形を離れて天に昇ったのは、嘉永3年(1850年)2月25日(旧暦)のことでした。

詳しくはこちら"黒住教ホームページ" >>

大元・宗忠神社の歴史
 ▼ 江戸
安永9年 1780年 教祖宗忠生誕(岡山市北区上中野[大元]にて)
享和3年 1803年 宗忠、伊勢神宮参拝(以後、生涯に6回参宮)
文化11年 1814年 教祖天命直授、黒住教立教
弘化3年 1846年 御定書制定(教団の成立)
嘉永3年 1850年 教祖昇天、高弟七人衆による大布教の開始
安政3年 1856年 教祖に「宗忠大明神」の御神号が下賜される
文久2年 1862年 神楽岡・宗忠神社鎮座(京都市)
 ▼ 明治
慶応元年 1865年 神楽岡・宗忠神社、孝明天皇の勅願所となる
5年 1872年 黒住講社として公認される
9年 1876年 他の教団に先駆けて別派独立を許される
18年 1885年 大元・宗忠神社鎮座
19年 1886年 第1回宗忠神社御神幸斎行
21年 1888年 伊勢萬人参り挙行(以後、明治期5回挙行)
32年 1899年 大元に大教殿竣工(現 黒住教武道館)
 ▼ 大正
大正3年 1914年 立教100年大祭斎行
 ▼ 昭和
昭和4年 1929年 教祖降誕150年祝祭斎行
25年 1950年 教祖100年大祭斎行
(黒住教献茶祭開催、以後毎年開催)
27年 1952年 大元・宗忠神社御神幸復活(以後、毎年斎行)
39年 1964年 立教150年大祭斎行
49年 1974年 吉備の中山・神道山に大教殿を竣工、遷座
55年 1980年 教祖降誕200年祝祭斎行
伊勢萬人参り(以後59年、平成6年に挙行)
 ▼ 平成
平成6年 1994年 こども伊勢千人まいり挙行
7年 1995年 阪神・淡路大震災に際して、1日5000食の「大震災炊き出し奉仕"わたがし作戦50日"」を展開
12年 2000年 大元の教祖記念館の奥庭に祖霊殿竣工
教祖神百五十年大祭斎行
14年 2002年 神楽岡・宗忠神社ご鎮座140年記念祝祭斎行
16年 2004年 立教190年、神道山ご遷座30年記念祝祭斎行
17年 2005年 大元・宗忠神社ご鎮座120年記念祝祭斎行
24年 2012年 神楽岡・宗忠神社ご鎮座150年記念祝祭斎行
26年 2014年 立教200年大祝祭斎行
27年 2015年 大元・宗忠神社ご鎮座130年記念祝祭斎行
28年 2016年 伊勢萬人参り挙行
京都 / 神楽岡・宗忠神社とは
ご祭神ご昇天6年後の安政3年(1856年)に、朝廷より「宗忠大明神」の神号が下賜され、文久2年(1862年)京都の一等地、吉田山神楽岡にご鎮座なりました。
京都 神楽岡 宗忠神社

その後、関白二條公、九條公など十指にあまる公郷方の信仰を受け、慶応元年(1865年)には孝明天皇が仰せ出された唯一の「勅願所」となり、名実ともに万民和楽、世界の大和を祈る聖なるお社となりました。

神明宮
【神明宮(しんめいぐう)】
本殿
【本殿(ほんでん)】
拝殿
【拝殿(はいでん)】
勅使門
【勅使門(ちょくしもん)】
白山社
【白山社(しらやましゃ)】
忠春社
【忠春社(ただはるしゃ)】
ご神水井戸
【ご神水井戸】
黒住教神楽岡中教会所
【黒住教神楽岡中教会所】